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「涙のムハンマド」に立ち向かえ! 〔不破利晴〕

     

画像出典: 2015年1月14日 日本経済新聞

画像出典: 2015年1月14日 日本経済新聞


「涙のムハンマド」すら転載できない日本の腰抜け新聞

 日本の新聞の腰抜けぶりといったら、まるで中学生の壁紙新聞並だ。先生に怒られればいじけてしゅんとするし、不良に脅されてもいじけてしゅんとする。まあ、中学生の素人新聞であればまだ笑って済まされるが、これが日本を代表する大手新聞となると聞き捨てならない事態になる。

 先般、編集部が銃撃を受けたフランス風刺週刊紙、シャルリエブドの最新号の風刺画転載をめぐり、日本の大手紙がすっかりビビりまくり、腰が引けている状態になっている。大手新聞などというのは所詮は学校秀才の集まりだから、少しでも暴力的気配を見せただけでとたんに震え上がり、お得意の屁理屈をこねくり回して自己保身に必至になるのだが、最後には怖くてとても転載できないという結論に落ち着くわけだ。だったら最初から「怖くて無理!」と正直に言え!この臆病者どもが!

 今回の「涙のムハンマド」転載の何が問題だというのか? 地元フランスでは370万人もの市民が駆けつけ「JE SUIS CHARLIE(私はシャルリエ)」のプラカードやバッチを付けてテロの対峙を鮮明にしていることに驚嘆した。ここに私はフランス人の、日本人には決してないだろう高い人権意識と社会正義への見識を見て取ったのである。

画像出典: 2015年1月13日 産経ニュース

画像出典: 2015年1月13日 産経ニュース

また、俳優のジョージ・クルーニーなども「JE SUIS CHARLIE」のバッチを付け政治家顔負けの堂々たる演説を披露した。実に立派な行為だったと言える。
  とはいえ、私は日本人に対し、同じように大規模デモなどを行えと言う気はさらさらない。日本人は日本人のやり方があるので、日本人らしく粛々と抗議活動を行えば良いと思う。

 

 

ひたすら言い訳がましい惨めな日本の新聞

 しかし、新聞のこのような体たらくは言語道断だ。ただでさえ政府与党の御用新聞、政府与党のチラシに成り下がっている新聞が、今回の「涙のムハンマド」の件で少しでも気概を見せずしてどうするというのだ。
 この件については新聞各紙の言い訳がまたふるっている。報復に怯え足がガクガクしているくせに、言うことだけはいっちょまえだ。

◆朝日新聞の場合
 表現の自由は最大限尊重する。特定の宗教や民族への侮辱を含む表現かどうか、公序良俗に著しく反する表現かどうかなどを踏まえて判断している。

◆読売新聞の場合
 表現の自由は最大限尊重すべきものだと考えています。ただし、今回の風刺画を掲載するかどうかについては、社会通念や状況を考慮しながら判断していきます。

◆毎日新聞の場合
 表現行為に対するテロは決して許されず、言論、表現の自由は最大限尊重されるべきだ。しかし、言論や表現は他者への敬意を忘れてはならない。絵画による預言者の描写を『冒とく』と捉えるイスラム教徒が世界に多数いる以上、掲載には慎重な判断が求められる。

それでも頑張っているメディアは存在する

 これら大手紙は表現の自由は大切だと御託を並べながらが、結局は掲載は勘弁してくれと逃げ腰を決め込んでいる。彼らの話を聞けば、これまでも他者に対する敬意や社会通念をあたかも尊重してきたと言わんばかりだが、断りもなく絵や写真を掲載し、傍若無人に記事を書き散らしてきたのはこのような新聞ではなかったのか? まったくのところメディアの風上にも置けない連中だ。

 その反面、大したものだと思ったのが共同通信だ。「表現の自由をめぐる事件に関連した動きであり、読者の知る権利に責務がある」として風刺画を配信している。他にも地方紙では北海道新聞、神戸新聞、中国新聞、西日本新聞、河北新報などが掲載。全国紙では日本経済新聞、産経新聞が掲載した。

 こうしてみると、中央紙よりも概して地方紙の方が検討しているようにも見える。もちろん、私もこのブログで問題の風刺画を堂々と掲載している。ここで怯むようなことがあればインターネット政党の名折れである。
 さあ、このままでいいのか? 大手新聞どもよ。肝心な時には何の役にも立たないようだな。

サルマン・ラシュディ『悪魔の詩』に挑戦する!

 私の場合、”おまけ”といったら何だが、サルマン・ラシュディ『悪魔の詩』の画像も掲載しようと思う。これは1988年に出版され、日本語訳は1990年に出版された問題の書籍である。
 ムハンマドの生涯を描いた作品だが、極めて侮辱的であるとされ、当時のイランの最高指導者ホメイニーにより著者のラシュディは死刑宣告を受けるが、世界中の逃亡生活を経て現在も彼は存命である。しかし、日本語訳を担当した五十嵐一(いがらし ひとし)筑波大学教授は何者かによって殺害されてしまった。

 今回のテロを契機に、私はこの『悪魔の詩』を読んでみようと思う。無論、読むからには読書人らしく、イスラムへの偏見を持たず正々堂々「虚心坦懐」に読むつもりだ。今まで本棚に封印されてきた書物が、今解き放れるのである。これ以上の機会は他にない。
 これも自分なりのテロに対する抗議行動である。

『悪魔の詩』 を手にする不破利晴

『悪魔の詩』 を手にする不破利晴

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COMMENTS & TRACKBACKS

  • Comments ( 4 )
  • Trackbacks ( 0 )
  1. メッセージありがとうございます。不破利晴です。
    この件に関してはフランスでも賛否両論となりつつありますね。
    日本の大手紙が風刺画に対して腰が引けているのはメディアの弱体化を示していると確信していますが、風刺画に関する「言論・表現の自由」という
    大きな問題については、私も正直確信が持てない部分もあります。ただ、これについては結論を出すにはまだ早すぎると思います。
    自由とは何かという根源的な問題を、それこそ自由闊達に議論するのが我々自由主義陣営の権利であり、義務であり、そして宿命ですらあると思います。
    様々な角度から考えたいですね。そんな意味も込めて『悪魔の詩』にも挑戦することにしました。※ただ、この作品は面白い、つまらない以前に、全く意味が分かりませんが・・・(汗;)

  2. いつも勉強させていただく思いで、貴ブログを拝読してます。

    テロという暴力的手段は認められませんが、風刺画に関しては「言論・表現の自由」の名のもとの、イスラム信仰への侮辱ではないでしょうか。

    平たく言えば、何事にせよ「言っていい事と悪い事」があると、小学生時代に習ったことを思い出したのですが。

  3. 越後屋七郎右エ門 様へ

    紹介に与った文章は読んでいません。
    ただ、興味深い記事なのでこれから読んでみようと思います。

  4. 越後屋七郎右エ門

    次のおふたかたの文章をお読みになりましたか。

    「許す」と「赦す」 ―― 「シャルリー・エブド」誌が示す文化翻訳の問題
    関口涼子 / 翻訳家、作家
    http://synodos.jp/international/12340

    シャルリー・エブド紙Tout est pardonné(All is forgiven)に込められた真意
    Aquila Takeshi Aoki
    http://blogos.com/article/103494/

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