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三国志に見る「国家」とは何か? 〔不破利晴〕

     

三国志

Photo by : 横山光輝「三国志」 [http://www.usio.co.jp/yms-kentei/event.html]

 

 三国志で興味深いのは、当時の中国大陸と日本のテクノロジーのあまりにも大きな違いである。端的に言えば軍事技術に雲泥の差がある。三国志を扱った映画を観ればそれを痛感することができる。最近では「レッド・クリフ」などはあまりにも壮大だ。軍事的物資、人員、戦略どれをとっても壮大過ぎる。

 一方、同時期の日本はどうだったかと言えば、それは卑弥呼による「呪術的」な政治でしかなかった。いや、それは政治ではない。むしろ、一人のカリスマに導かれた新興宗教的な地域勢力に過ぎない。これでは軍事的な機動力は期待できないし、そもそも「国家」であることすら疑わしい。だから卑弥呼は自分が率いる集団を国家として担保して貰うべく曹操が統率する「魏」に使いを派遣したのである。これはご存知の「魏志倭人伝」にも記録が残っているし、志賀島で偶然発見された「金印」が当時の状況を物語る一級品の資料となっている。

 ここで重要なのは、三国志時代の国家とはどこを指すのか、ということである。なぜ、卑弥呼が孫権の「呉」でもなく、劉備の「蜀」でもなく、曹操の「魏」を選択したのかということである。それは三国志時代において、本当の意味で国家の体裁を保っていたのが「魏」であったということに他ならないからだ。

 三国志では、日本でも中国でも圧倒的に劉備に人気が集中している。およそ強靭なリーダーとは程遠い、がしかし人望があり情に熱い劉備に孔明という優秀な軍師を始め、関羽、張飛という勇猛果敢な武将が周りを固めていた。そして、それにまつわる様々なエピソードが文学作品としても描かれている。

 しかし、これでは国家を形成することはできない。孔明は別としても関羽、張飛は典型的武官である。国家を成すには武官以上に文官の存在が極めて重要になる。なぜなら文官は国家の統制や民の生活に直結するからである。

 三国志を読むと常に魏・呉・蜀は年がら年中戦争をしているかのように描かれているが、それは半分正しく半分正しくない。国家を率いる為政者は戦争以上に国家の運営に心血を注いでいた。その中で多くの文官を擁し、国家運営に成功したのがまさしく魏の曹操だったのである。

 その魏に比べれば、特に劉備の蜀などは国家というよりも、地域勢力と言った方が正しいのかもしれない。文官も含め圧倒的に人材が少ないのである。結果的に蜀は軍事地域勢力の性として、常に戦争をすることでしか体制を維持することができなくなっていた。だから劉備の死後、その子である阿斗があまりにも凡百であったため、孔明が中心となって軍隊を率いざるを得なかった状況も起きてしまった。

 ジョン・ウー監督による「レッド・クリフ」では曹操が完全な悪役として描かれているが、国家を率いる正統派はむしろ曹操であると見なすことができるだろう。

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